その3【もしも一年後、この世にいないとしたら】いま生きている奇跡、出会いに感謝!オススメ本

もしも一年後、この世にいないとしたら

 

 

今回は最終章です。

 

自分にもこの「あと一年後」はいつになるのか?

と考えさせられるオススメ書籍、

もしも一年後、この世にいないとしたら。

の最終章をご紹介します。

 

前回の記事では、

「人生は有限だということに向きあおう」

というテーマに絞って「第1〜2章」をご説明しました。

 

前回記事

もしも一年後、この世にいないとしたら   前回の記事に引き続き、オススメ書籍、 「もしも一年後、この世にいないとしたら」 をご紹介します。   前回の記事では、 「大切なことを先延ば[…]

 


 


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今回は、その最終章となります

「第3〜5章」のご紹介です。

 

実はわたしには過去に2度ほど大変なことがあったようです。

 

3歳のときに「2度、死にかけた」

 

死んでもおかしくないことが、3歳のときに

「2度」あったのです。

 

1度目は「肺炎」

 

そう。一度目は肺炎だったそうです。

かなりの高熱がおさまらず、母親がちかくの神社へ出向き、「お百度参り」のようなことをしたと聞かされました。

その願いが通じたのか、幸い熱は下がり、「山を越えた」そうです。

 

そして更にもう一度、大変な目に遭いました。

 

 

3歳のとき ”車” にはねられた

 

わたしは3歳のときに自動車にはねられました。

 

肺炎という病気よりも、か弱いからだに「どか〜〜〜ん」と直接ダメージを食らうわけなので、

思えばそのとき死んでいてもおかしくなかったですよね。

 

今でもハッキリと思いだせることが「3つ」あります。


  1. 茶色い色の自動車だった
  2. 親父が助けに駆け寄ってきた
  3. ひかれた原因は飛び出し

 

ひかれる直前に見たクルマの色は間違いなく「茶色」でした。

 

そのあと気づくと、地面が横向きに見えていました。

そして、ウチの親父が「目をまん丸」に見開いてわたしへと駆け寄ってきたことをハッキリと覚えています。

 

親父の顔をみて安心したのか、その後の記憶は一切ありません。

 

もちろん、わたしをひいた運転手さんは「ひき逃げ」などせずわたしを病院に連れて行ってくれたそうです。

 

ただし、わたしは「ど田舎」で育った環境。

 

最初に運ばれた町医者(個人病院)の先生に助けを求めたらしいのですが、それがまた・・・

 

何とその先生は昼間からベロベロ状態。

 

「ダメだこりゃ」

 

ドリフのいかりや長介ばりに「酔っ払い医者」に見切りをつけて、さらに遠くの病院に運ばれたそうです。

 

いまわたしは何の後遺症もなく元気に過ごしていますが、

なぜ?たいした怪我もなく無事だったのか?

当時の親たちも全然わからなかったそうです。

 

そして、ひかれた原因はわたしの飛び出しです。

間違いありません。

運転手さんは悪くありません。

 

T字路のつきあたりに向かって思いっきり走って道路に出ました。

子供ながら全速力で走って、急に「直角に曲がる」なんて出来るわけもなく、突然あらわれた子供に対して急ブレーキも効くわけもありません。

 

ただただ運転手さんに申し訳ないですし、もし死んでいたら両親にも悲しい思いをさせてしまうところでした。

 

いま思い出すと一言。

「助かって良かった」

 

 

今日一日がある事に感謝する

 

 

「死を意識して初めて、あたりまえだと思っていたことへの感謝が生まれる」

 

そして続けて清水先生はこのようにおっしゃいます。

 

今まではそれはだいぶ先のことだと思い込んでいたけれども、場合によっては間もなく自分にも訪れるかも知れない。

引用:「死ぬとわかっていても、どうして人は精いっぱい生きるのか」より

 

このように気づけたとき、わたしは

「いま自分はやりたいことを出来ているだろうか?」

などと考えてしまいます。

 

 

「あと一年後に死んだとして、今の自分に後悔はないか?」

 

仮にいま自分の人生が終わったとして後悔しないでしょうか?

答えは「NO」です。

心の底から「いつ死んでもいい」などと、とても思えない自分がいます。

 

わたしと同じような思いのひとは大多数いて、以下のような生き方をするからだそうです。

 


「こうあるべき」で生きると

「何のために生きるか」がわからない


 

要は、100% じぶんの生きたいように、やりたいことをやり切っている人はほとんどいないという事です。

 

「こうあるべき」という「理想」にしばられ過ぎて生きていると、「自分の人生を生きていない」という事に気づく。

「こうあるべき」という世間体や見栄をはる事。

 

確かに「理想」をもって生きること、行動を起こすことは必要です。

 

ですが、「自分の意に反して」まわりの目を気にして「それが正しい」とか「仲間はずれ」を恐れていては「他人の人生」を生きている事になってしまいます。

 

本当にやりたいことにチャレンジしてこその

「自分の人生」です!

いま一度、自分をみつめ直したいものです。

 

 

人生には期限がある

 

「いま与えられている健康は永遠に続かない」

 

そう考えるとそれまでの前提であった「明日も明後日も来月も1年後もあたり前のように人生は続く」という考えは崩れますよね。

人間ながく生きていると「当たり前のことに感謝」出来なくなります。

 

何もかもが奇跡だと思いながらよく考えてみると今日一日を健康で何気なく過ごせることが「ありがたい」と思えます。

 

いつ自分も病気になるかわからない。

 

そしてベットから動けなくなったときに、その病床から「いま現在、2020年の自分」を振り返ってみたら「とてもうらやましく」思うでしょう。

 

そして「時間を粗末にした」自分を後悔するかも知れません。

 

いま飲んでいる「ビール」だって

「美味しい!」

「うめぇ〜〜!」

そう思えないどころか、口にさえ出来ない日が「ある日突然」くるかも知れないのです。

 

 

「先送りにしていた人生の課題」

 

 

 

ただ漠然と人生を送るのではなく自分に当てはまるであろう「課題」、これを先送りせずに早く解決したいと強く思います。

 

自分がもしもなくなるとしたら・・・

 

家族関係や、ずっと気になっていたこと、謝りたいこと、

まだスッキリさせていない事や気になる事があれば、すぐ行動しましよう。

 

あなたが思うほど、時間はそれほど残っていないのかも知れないのですから。

 

 

① 今日一日があることに感謝しよう

② 人生には期限がある

 見栄を張らず「自分の人生」を生きよう

④ 先送りにしていた「人生の課題」を解決しよう

⑤「普通」の連続がしあわせ 

 

 

もしも「あなた」が一年後に病にたおれ、ベットに寝ていると仮定したらどう思うでしょう?

 

一年後の自分を想像してみてください。

 

その「一年前の自分」を思いかえし、


「あれもしておけばよかった、

これもするはずだったのに・・・」


 

などと後悔するかも知れません。

 

そうならない為にも、「今日一日を過ごせることは当たり前ではない」と認識して


今日という日に「感謝」

今日まで「めぐり逢ったひとたちに感謝」


 

そのうえで。

 

「今日一日、一日を大切に生きる」

 

これを忘れず生きていきましょう!

 

 


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