自分の中に毒を持て
今回も前回に引き続き、「岡本太郎」のオススメ書籍をご紹介します。
前回の「第1章」では、自分の生きる道筋や考えかたに焦点があたっていました。
- 自分の殻をやぶる
- 不安な道と思えても惹かれるなら一歩ふみ出す
- たとえ成功しなかったとしても「挑戦した不成功者」なら輝ける
- 条件が揃うのを待たず「無条件」に生きる
- 才能ではない!行動こそエネルギーの根源
自分の中に毒を持て 自分の中に毒を持て【電子書籍】[ 岡本太郎 ] 今回はあの鬼才芸術家、 「岡本太郎」のオススメ書籍をご紹介します。 岡本太郎はみな承知していると思います[…]
個性的すぎるともいえる独特の存在感から、メディアにも多く取り上げられた岡本太郎ですが、幼少時代は数々のにがい記憶があるようです。
その象徴的なのが、小学校時代に「4回も転校」しているということ。
そしてそのほとんどを、自宅ではなく「寄宿舎」での生活だったということ。
転校の理由は、「理不尽な先生」への反発からです。
本来なら崇高な存在であるはずの「先生」がまちがっていると感じたからです。
小学校入学したての岡本太郎がなにも悪いことをしていないのに、理不尽な怒られかたをされて以来、その学校には登校しなくなります。
そんなこともあり、次の小学校へ転校となるのですが、そこでも
「お前たちは親不孝だろう。あやまれ!」
と、親でもないその「先生に向かって」あやまらなければいけない。
「ゆるせない」
「岡本太郎」少年は幼いこころながら、大人がつくっている「体制」には順応しまいと必死に抵抗しました。
そんなことが度々あるものですからこの学校も行かなくなり、都合4回の転校となったようです。
そして親もしだいに持て余しはじめての寄宿舎生活となりました。
このように「自らの信念をぜったいに曲げない」という気概は幼少のころから培われ、岡本太郎の作品にあるような「激情的」な表現にあらわれています。
それでは岡本太郎の書籍の「全4章」のうちの、
本日は「第2章」をご紹介いたします。
第1章
意外な発想を持たないとあなたの価値はない
第2章
個性は出し方「薬になるか毒になるか」
第3章
相手の中から引き出す自分それが愛
第4章
あなたは常識人間を捨てられるか
第2章 個性は出し方「薬になるか 毒になるか」
岡本太郎は幼いころから自分を表現するのに
「出るくい」
と思っていたそうです。
「出るくいは打たれる」
まわりの同世代にくらべても、あらゆる場所、あらゆる状況で、つねに孤独で「出るくい」であった。
叩かれても、叩かれても、
いや、むしろ叩かれるほどにそれに耐え、自分を突き出してきた。
出さずにはいられなかった。
それが情熱であり、生きがいだから。
わたしが思うに、あの映画「ボヘミアンラプソディ」の主人公である「フレディ・マーキュリー」にも似ている「信念をつらぬき通す」ひたむきさ。
また、「情熱・ひらめき・激情」にかくれた臆病さなどの共通点を感じました。
わたしの様なサラリーマンという組織のなかに生きていると、ここまで自分を突き通すことなど許されることのほうが少ないと感じます。
それはある程度、まわりとの協調性がもとめられるからです。
岡本太郎のように「出るくい」になった途端に、まわりの職場のなかまが一斉に「出たくい」をたたいて何もなかったようにするでしょう。
そんな事もわたしが早くこの世界から脱出したい一因なのですが・・・
道は1本か、10本か
なにかの世界にとび込むとき。
たとえば、高校進学や大学進学、就職など。
岡本太郎は若者のすすむべき道について、今までの規定路線、道は「この道1本しかない」と思いこんでしまっている危険さに警鐘をならしています。
ほんとうに自分が進みたい道であればこの”規定路線”ともいえる道をえらんでも構わないが、「みなそうしている」「親がいうから」というだけで安易に選択してはもったいない。
そう提言しています。
時代はつねに変化しているなかで、
「自分の人生をいきているか?」
という点について自分を見つめろ!といっているのです。
気づくのは早ければ早いほうが良いに決まっていて、年をとるたびに「路線変更」はむずかしくなってくるからです。
たとえば周りで「路線変更」して「自分の人生をいきる」道をえらんだ知り合いがいたとします。
そしてあなたも本当は「自分の人生をいきたい」と思っているとして。
その知人は成功しているように見えるし、何より ”いきいき” していて羨ましくもある状態。
そんなとき、あなたはどう思うでしょう。
「あいつは才能があるから・・・」
などと「自分がやらない言い訳」のようなくだらない事をおもい、自分にフタをしてしまうでしょうか。
岡本太郎はいいます。
「才能なんて勝手にしやがれだ」
そういって自分がやらない口実にしているだけだ!
純粋にいきることが人間のほんとうの生き方だ。
そしてこうも言っています。
人生には2通りの道がある
- 世渡りの道
- ほんとうに生きぬく道
前者は先が見とおせる安全な道。
行き先がハッキリしていて、そのバスに乗りさえすれば黙っていても目的地につく。
後者は危険とスリルに満ちた未開と思われる道。
まるでジャングルを押し分けてすすむ危険をともなう道。
ただ、圧倒的にちがう点は「自分がえらんだ道」ということ。
そして何より「やりたいこと」であること。
これほど「人生にハリ」を感じる、生きがいを感じられる道はないでしょう。
わたしも副業として新たな道を同時に歩きはじめたのですが、あなた何をするかに関わらず、自分が選んだ道をいく、その「プロセス」にはものすごい価値と経験値があるはずです。
惹かれるのなら素直に自分の心にしたがって行動したほうが、人生が充実するというものです。
そして「キメラゴン」さんという ”不登校中学生” でいまや「月収8ケタ」を稼ぐひともいるワケです。
まさに「規定路線」にのらずに「自分の信じた道」を貫いたからこその素晴らしい生き方です。
もちろん、「自分の人生」をえらんだ際には周りからの反応やかけられた言葉が「非常に激しく厳しいもの」だったことは予想にむずかしくないでしょう。
でもたとえ失敗していたとしても「自分の信じた道」をつらぬく清々しさと、挑戦した経験値はものすごい財産となり、次の行動を輝かせてくれるはずです。
迷った時は、
やってみましょう!
うまくやろうと思うな!
まず岡本太郎は「凡人と才能」についての勘違いについて説いています。
凡人にはむずかしいという人がいる。
そんなことはウソだ。
やろうとしないから やれないんだ。
それだけのことだ。
引用: 第2章「正義の裏・悪の裏」より
才能なんて「できない、やらない言い訳」につかう、ただの「便利なことば」
として使っているだけだ、思い込んでいるだけだといいます。
そして、「人生をうまくやろう」なんて思うなとも言っています。
それは、世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑にしたがい、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまうからだというのです。
世間体もよく、うまくいくかも知れないけれど、ほんとうに生きているのではなく、流されたままで生きているにすぎない。
たしかに私もサラリーマンという立場で社会に出ていても、いつの間にか一つ一つのことに対して「こういうものだ」というふうに「なんの疑いもなく」ながされている事も多いように感じます。
そして岡本太郎は
非常に悪いことに関して続けます。
自分はほんとうに純粋にこういうことをしたいと思っているが、
それを世の中は許してくれない。
しかも、自分はさまざまな悪条件のなかにあるので、もし違ったところで生活していればできるかもしれないが、今の状況ではできない・・・
というようにやたらに障害の項目を並べたてることだ。
引用: 第2章「正義の裏・悪の裏」より
それは、弁解のために、自分に言って聞かせ、
他人に納得させるために盛んに障害を言いたてているにすぎない。
引用: 第2章「正義の裏・悪の裏」より
自分をごまかさずに、しかもそれを ”中途半端” にやりさえしなければ魅力になって、みんなにもプラスになる。
「ああ、やってよかったな」
そう思えるようになる。
まわりを気にして「うまくやり過ごそう」とせずに、自分が正しいと思ったことを全力でやり抜こう。
そのように全力でやったほうが、自分はやり切った。
失敗した時でも「やらなきゃよかった」
とならずに済むし、次はこうしようというように、次の行動が輝いてくると思います。
「第2章」のまとめ
①自分を出し 「出るくい」になろう
②道は1本ではない「自分の人生」をいきる道を選ぼう
③世渡りの道より自分を生き抜く道をいこう
④自分をごまかすな できない障害を並べたてるな
⑤うまくやろうとするな
「自分の人生をいきる」ということは痛みを伴うでしょう。
ただし、いまを変えようとするならば変化は必要です。
たとえ世の中は変えられなくても自分自身は変えられる。
あたりを気にしないで、のびのびと発言し、行動する。
それは確かにむずかしい。
苦痛もともないます。
しかし・・・
いま決意しなければ一生、自分の人生、未来はひらかないでしょう。
迷った時は、
やってみましょう!
それでは次回は、「第3章」をご紹介します。
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